占いでも宗教でもスピリチュアルでもなく

「行動生態運命学ってなに!?」という質問に、「生年月日と生まれた時間から自分の本質や潜在的行動パターンが分析できる」と答えると、「じゃあ占いなの?」とまず聞かれます。

 

占いを超えた学問であることを説明すると、「じゃあ宗教?それともスピリチュアル系の何かなの?」と聞かれることがよくあります。

 

たしかに目に見えないものなので、なかなかピンと来ないのもうなづけます。

今までに目にしたことのある他の何かとよく似たものだと思いたくなるのでしょう。

 

そこで、ここでは行動生態運命学の立場や位置づけについて、簡単にご説明しておきたいと思います。


占いとの違いは?

まずここでいう占いとは、タロットカードや易占いなど、直感や勘といったインスピレーションを使うものをイメージしてください。これらは卜術」と呼ばれ、潜在意識によってランダムに抽出されたものの中からなんらかの意味を見出すものです。


一方、行動生態運命学や四柱推命など、暦を使って計算から分析結果が導き出されるものは術」と呼ばれます。こちらは潜在意識ではなく、意識や理性によって意味が見出されてくるため、「どうしてそうなっているのか?」という理由や根拠を論理的に説明できるという特徴があります。


一般的な占いでは、結果そのものを扱うだけなので、「どうして?」という疑問にも、「じゃあどうすれば?」という質問にも明確な答えはなく、ただ「当たるか?当たらないか?」、「その結果を信じるか?信じないか?」というところにだけに意識が集中しがちです。


そのため、暗示になることを恐れて「いいことだけを信じる」という人や、「なにか悪いことを言われたら恐い」と不安になるから占ってほしくないという人たちがかなりの割合でいらっしゃるのではないでしょうか。


その点、行動生態運命学なら、どんな結果だとしても処方まで明確にきっちりとお伝えすることができるので安心です。しかも、その方法も「あくまでも自分自身の努力や意志の力で自己改善していこう」という内容なので、暗示にかけられたり、誰かに操作されたり、何か高い物を買わされたりという心配もありません。


そういう意味で、行動生態運命学の究極の目的は、まず本当の自分をよく知ってから、足りないものがあれば補い、軌道修正やバランス調整をしながら、身心ともに健康で幸せな人生を自分自身の手で創造していくことなのです。


個人的にはタロットも大好きですし、インスピレーションからのメッセージにその時々に必要な大切なメッセージが込められていることもよくわかります。


ただ、行動生態運命学はそのような占いとは性質の違うものであることをご理解いただきたいと思っています。


宗教との違いは?

行動生態運命学のベースの一つである道家思想。

中国では特に「道教」との区別が難しいところです。

 

宗教といえば、キリスト教や仏教など歴史の古いものから新興宗教まで、世界中に数限りなくありますが、それらすべてに共通することは「教義や戒律がある」ということです。

 

仏教であれば、「殺生してはいけない」、「盗んではいけない」などの五戒が有名ですし、キリスト教やその他の宗教にもそれぞれ独自の戒律を守ることが定められています。

 

つまり、宗教とは「何が正しくて、何が正しくないか?」という物事の善悪や是非を説き、信者たちにその教えを守ることを諭すものです。

 

また、同じ宗教であっても宗派の違いによって聖書や経典の解釈に違いがあって、時に争いの種になることも歴史が証明しています。

 

やはり、人の価値基準というものは、その時代、その場所によっていくらでも変化するものだからというのが大きいのでしょう。

 

それに対して、行動生態運命学が重んじるのは戒律ではなく「物理法則」です。

 

行動生態運命学の基本にある陰陽五行説は、「人、物、事、時間、空間、天文、気象、地理、生態などの自然・人文・社会現象を感じによって体系化・記号化した物理法則である」と定義することができるからです。

 

そこには、善悪や是非という価値判断は含まれていません。

 

「天地不仁」という老子の言葉にあるとおり、「良い」も「悪い」も人間の判断にすぎず、自然界は人間界の法則で動いているわけではないからです。

 

また、「善」に対して「悪」、「神」に対して「悪魔」というように相対的な概念を扱う宗教は「二元論」的な世界観となり、身心も「心」と「体」というバラバラなものとして捉えられることになります。

 

一方、東洋思想である行動生態運命学は、心と身体は1つにつながっていると考え、「性命双修」と言って心と身体をともに磨いていくことを目指しています。

 

私たち人間も自然な生き物である限り、自然の物理法則にしたがうのは当たり前。

それなのに、そのことを知らない私たちは、自ら知ろうとしなければ、永遠に知りえないままです。

 

そして、東洋思想や東洋医学を単なる迷信や宗教だと思い込んで、すでに知ってるつもりでやりすごしてしまっているとしたら?

こんなにもったいないことはありません。

 

その現状を十分認識した上で、行動生態運命学はその自然科学的な性質を守って伝承していくことを大切にしています

 

いつの時代も、この世の苦しみから逃れるため宗教に救いを求める人々がたくさんいらっしゃるわけですが、行動生態運命学という別の道もあることを少しでも多くの方々にお伝えできたらと願っています。

 

スピリチュアルとの違いは?

一時のブームが過ぎ、日本でもすっかり定着した感のあるスピリチュアルですが、もともとは70~80年代アメリカのニューエイジ・ムーブメントに端を発するものです。


チャネリング、ヒーリング、瞑想などを通じて宇宙との一体感を求めたり、オーラやチャクラ、前世など目に見えない世界を信じる人たち。


「引き寄せの法則」


「身の回りで起こる出来事にはすべて意味がある」


などなど、行動生態運命学と似通った考えもあり、共感できる部分も多々あるのですが、決定的に違うところが1つあります。


どこまでも精神世界で霊性を高めていくことを目指すスピリチュアル系の人々。


ともすれば、肉体を置いて精神だけが理想郷を求めて浮遊するような非現実的な世界にふわふわと飛んで行きがちです。


霊性が高い=自分が他人より「優れている」という錯覚を抱くことすらあります。


また同じ理由から、自分より霊性が高いとか、パワーがあるとされる誰かを神のようにあがめたり、その人に癒してもらう、導いてもらうというような他力本願な個人崇拝を招く恐れもあります。霊感商法や洗脳など、カルト化する危険と常に隣り合わせなのはそのためでしょう。


それに対して行動生態運命学は、あくまでも個人個人が、この現実世界の中で地に足を付けた状態で、天地の物理法則に従って自分を磨いていくことを目指すものです。


「知行合一」といって、知っていること・意識と言動や行動が一致することが望ましい状態とされ、身心の統合を図るためのものでもあるのです。


行動生態学を学ぶ者にとっては、たとえ先生や師匠であっても、


「一生を通じて自己改善に励んでいるという点では同じであり、一緒に修行している仲間なのだ」


という立場が明確であることから、個人崇拝が入り込む余地がありません。

そこが、スピリチュアル系の様々なものたちと一線を画している点です。


さらに、高みを目指す方法も異なります。


「いつも笑顔で感謝を忘れず」


「手放す・許す」


などなど、スピリチュアル系の教えによると、心の持ち方で自分を変えようとするものが多いようですが、誰にでも当てはまる一般的であいまいな方法に終始しています。


でも実際は、生まれつき笑顔になりたくてもなれない、感謝の気持ちを持てない、手放すことも許すことも難しいという人たちもいるわけです。


そういう人たちに同じことを言っても、「どうして自分はできないのか?」とことさらに自分を責め立てたり、逆にキレて聞く耳を持ってくれなかったりするだけではないでしょうか。


その点、行動生態運命学なら各人の全く違う個性を別々のものとして扱えるので、まず自分の本性を理解した上で、その人に特化したそれぞれの方法で現実に身をおいたまま誰もが自分を高めていけるようになっているのです。


そこがスピリチュアルとの根本的な違いだと言えるでしょう。


真のアセンションとは?

それでは、行動生態運命学の修行とはどんなものなのでしょう?

 

それは、地→人→天へと段階的に自分を高めて行く過程です。

 

動物としての本能のままに生きる「地の段階」から、行動生態運命学で陰陽五行の自然の法則から初めて自分の正体を知る。

 

そこで初めて、本当の人間として目覚めていく「人の段階」がスタートします。

天命を知ってから本当の人生が始まるともいえるわけです。

 

そこからは陰陽五行で身心のバランスを整えながら、「自我完善」を目指す日々。

毎日、反省して学んでいくことを繰り返す中から、少しでも進歩できれば人生も開かれていくという考えです。

 

そして、自分の個性を活かして常に自らを向上させながら、同時に周りの役にも立てるように、社会のためにも貢献できるようにと「天の段階」へ上がっていく。

 

そうは言っても、生身の肉体を持つ身。

どこまで行っても、動物としての本能から解放されることはありません。

いくら修行をしても、ほとんどは地の段階のまま。

だからこそ、欲望を抑えて自我をコントロールできるように、理性と知性の力を強めていくことが何より大切なのです。

 

地から人を経て、天へと自分を高めて行く。動物から人への進化。

それこそが、本当の意味での「アセンション」だと私たちは考えています。

 

占いでもなく、宗教でもなく、スピリチュアルでもない。

 

そんな行動生態運命学の立ち位置が、少しは明確になってきたのではないでしょうか。


これからも、人の本質を研究する学問であり、天地の物理法則を応用した自然科学であり、自己改善のためのツールでもあるという立場をよりはっきりさせていきたいと思っています。